こんにちは(^_^)
アラフォーでオヤカタ(親の家の片付け)を始めたパピンです。
親の家を片づけていると、時々ゴールの見えない不安感に襲われることがあります。
「これ、いつか本当に終わる日が来るんだろうか・・・」
考えていても仕方が無いので、とにかく手と体を動かすに限るのですが、そんな時に両親からかけられる言葉に追い詰められることもしばしば。
実家の片づけは一体誰のための作業なのでしょうか・・・
ありがとうの言葉の裏にある本心
母の病をきっかけに始めたオヤカタ。

ゆるゆると昨年春に始め、母の希望を聞きながら夏を迎える頃に本腰を入れ始めました。
そんな折り、夫が仕事を辞めることになり、

パピン一家が実家へ引っ越すことが決まったため、秋頃からは超過速度的に片付けを進めることになりました。
母と二人でのんびりと始めたオヤカタが、一家総出で片づけをすることになったのです。
物を捨てられない(捨てたくない)性質の父にも無理をかけてしまった面もあったかと思います。
それでも、
「こういう機会でもなければ、物を整理するチャンスはなかったから良いタイミングだった」
と父が言ってくれたことで、私の気持ちは大分救われました。
母は片付けの度に、
「いつもごめんね。ありがとう。」
と温かい言葉をかけてくれました。
二人の言葉に嘘はなかったと思います。
けれど、そんな気持ちとは裏腹にマイナスな気持ちを両親が持っていることも現実として受け止めなければなりません。
それは、「やらされている」という感覚。
…………
先日、馴染みの飲食店に行った際の出来事。
お店の方と母が、パピン家引っ越しについて話をしていました。
「もうね〜、色々と片づけさせられているのよ。2階の荷物を下に降ろしたりもしたから、私の部屋なんてこんなに狭くなっちゃって。」
その言葉に一瞬固まってしまったパピン。
母の中では、自主的に片づけているという感覚は既に無いのだとわかった瞬間でした。
家族ではない人との会話だからこそ、ほろりと本音が出てしまうものです。
大きな家財道具を買い揃えて部屋を狭くしたのは誰か、
1年に1回も袖を通さない服がクローゼットに溢れるほど洋服を購入したのは誰か、
貰ったままで使わない食器を取っておきたいと言ったのは誰か…
「そろそろ家の整理をしなくちゃと思っているんだけど、中々行動に移せなくて・・・」
そんな風に言っていたいつかの母。
家の整理、したかったんじゃなかったのかな。
毎度の整理の度に、自宅まで大量のゴミを持ち帰って分別をしてゴミを出して。
売れそうな物やリサイクル出来る物は綺麗な状態に戻して。
不要品をなるべくゴミにしない努力も、ゴミ出しの労力も、一体どれだけのエネルギーを費やしてきたのかと過去の自分を振り返ると、頑張ってきた自分がとても虚しく感じてしまいました。
実家の片づけとは、一体誰のための作業なのでしょうか。
私の願いはただひとつ。
片付いた綺麗な部屋で、家族5人で快適に暮らしたい。
ただそれだけです。
その願いを叶えるために、
自分のために、
粛々と今日も片づけます。
本日もお読み下さり、ありがとうございました(ー人ー)