7月に母が体調を崩してから、回復までに約1ヶ月半がかかりました。
その間、ブログの方も少しお休みさせて頂きながら、色々と感じたり思うところがあったりしつつの夏が終わろうとしています。
「介護しやすい環境づくりをしていきたい」と前回のブログでは綴っていたのですが、中々うまく進んでおりません。
というのも、体調が回復した母が、元気になった途端アレコレ物申し始めたためです(^^;)
今日は、そんな母とのやりとりの中から感じたこと、また父の行動を見ていて気づいたことを綴ります。
見栄が邪魔する部屋づくり
母が一時寝たきり状態になった時、介護用のベッドの導入を真剣に考えました。
すっかり痩せ細った母は既に40Kgもない体なのですが、それでもやはり大人。
寝たきり状態から体を起こすのは、子供を抱き上げるのとは訳が違います。
介護初心者の私は力の入れどころもわからず、着替え、トイレ、お風呂、食事、本人の意思で起きあがりたい時など、1日に何度も敷布団から母を起こすのに大変苦労しました。
「ベッドで寝ていればここまで大変じゃないだろうな」
と思う日が、日を追うごとに増加。
母にもベッドを買うことを検討してもらえないか声をかけました。
母本人も辛さを感じていたようで、それなりに前向きな返事。
少し落ち着いたら本格的に調べてみよう・・・
そう思った矢先、時はお盆に突入。
我が家には毎年お坊さんがお盆の時期にお経をあげに来てくれます。
その仏壇が母の寝室にあるのです。
「やっぱり、ベッドを置いたら部屋が狭くなってお参りもできないから」(←だからベッドは買わない)
母が出した結論です。
既に自力では布団の上げ下ろしができず、父や私に頼っている母。
それでも頑なに部屋の見栄えや来客時(年に一回だけのお坊さんの来宅)の優先度を変えません。
部屋が狭いのは、衣装持ちの母が次々と服を購入し、しまう場所が無いからとタンスを必要以上に買ったため・・・
ということには目を向けません。
リビングにも大容量クローゼットがあるのに、母の部屋には3棹のタンスが鎮座しています。
(ありすぎるタンス記事は過去にもご紹介↓)
その一つだけでも処分することができれば、ベッドを置くことは容易なはず。
母も寝起きが楽になるはずなのですが、残念ながらそういった思考回路にはならないのです。
本人が買いたくないというのであれば仕方がない。
また期をみて声をかけてみるか・・・トホホ。
介護しやすい母寝室の部屋づくりは一歩も進まずの1ヶ月がすぎました。
物に埋もれた部屋よりも隣家に訪れる不動産屋さんが気になる父
さて、そんな中ずっと空き家になっていた隣家がこの夏売りに出されることになった様子。
娘さんが度々訪れて部屋を掃除している日が続いた後、不動産会社の社員らしき人が訪ねてきたのを父が見ていました。
この隣家は先に奥さんが、しばらくしてからご主人が他界し、その後ずっと空き家になっていました。
子供は二人いるようですが、どちらも家を所持しており、実家には戻らない様子。
不動産を現金化して財産分与することに決めたのでしょう。
と、その様子を見ていた父が例年にない猛暑の中突然裏庭の庭木の整理をはじめました。
「熱中症になるから暑い日は無理しない方がいい」と言う家族の言葉は耳に届きません。
とにかく、隣家との境界線になっている場所に我が家の庭木がはみ出しているのを整理したいのです。
「不動産屋さんや内見者が見に来た時に見栄えが悪いだろう。だから今のうちに片付けないと。」
というのが父の言い分。
連日の気温が34度前後続く中、庭木の剪定を進めました。
我が家の裏庭は増改築を繰り返した結果、住んでいる私たちでさえほとんど目にすることがない場所に位置しています。
もちろん表通りから見えることもなく、住宅の裏側へ回らないと見えない場所なのです。
それでも、他所の人から見られた時の見栄えを気にする父。
自室が物で埋もれていようが、納戸や屋根裏が物に侵食されようが、暮らしの不便さよりも他者からの見た目を気にするのです。
幸いなことに、父は熱中症や怪我をすることなく裏庭の整理を終えることができました。
体が動かなくても自尊心は人一倍
また母の話に戻ります。
体調の回復に時間がかかる中、母との衝突が避けられない事態が度々ありました。
理由は様々で、詳細を書いてもつまらない親子喧嘩なので割愛しますが(^^;)
要は「出来ないことが多々あっても自尊心・プライドがあるため口だけは達者」なのです。
育児・家事に加えて介護をすることになった私からすると、もう少し私の負担も考えてよ・・・と言いたくなる場面でも、母の自尊心が前面に出てきます。
「傷ついた」
「そんな風に言われるなんて心外」
こちらが意図して言った言葉ではないことも、悲観的に受け止めプライドが傷ついたと主張する母。
これには私もお手上げ状態。
もはやオヤカタ(親の家の片付け)どころではない状況になりました。
元気であれば正常に判断できるようなことも、今の母には難しい。
物忘れの具合も徐々にひどくなってきており、いよいよか・・・?と思うことも増えました。
親の変化を通して思うこと
2年前にスタートしたオヤカタ(親の家の片付け)から、両親(主に母)の状態がかなり変化しました。
この変化を通して思うことは、
・親が元気なうちになるべく早く片付けに着手する
・記憶が定かなうちに大事なことを話しておく
・身の回りの整理をどんなにしても、親が持つ見栄・自尊心・プライドは本人以外には捨てられない
ということです。
子を叱るな来た道だ。
親を叱るな行く道だ。
いつか自分も子供に叱られながら片付けをする時が来るのかもしれません。
ですが、親の姿を見ながら、出来る限りの整理は毎日心がけようと思うこの頃です。