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こんにちは(^_^)
アラフォーでオヤカタ(親の家の片付け)を始めたパピンです。
今日は久々に本の紹介を♪
片付けのモチベーションを上げるため、時々実家片付け関連の本を読みます。
前回はこんな本をご紹介しました↓
そして先日、こんな本を読んでみました。

タイトルを見た瞬間、手に取ってレジへ向かってしまったパピン(^^;)
他所様のおウチではどんな片付けをしているのだろう…
オヤカタを始めてからまだ1年しか経っていないペーペーとしては気にならないはずがありません。
実際に読んでみて気になった点を、我が家の片付けと照らし合わせながらいくつかご紹介したいと思います。
あらすじ
当時60代の著者が80代の実母の病をきっかけに「実家、散らかりすぎ!」に気づいたのがお片づけの始まり。
親子共に老いてからの片づけを模索しつつ、家族との関係はどうあるべきかを片づけを通して考える実録本。
我が家にも当てはまる!?循環しない家
生活力は、モノ(食材・身体・家も含めている)を使い、汚れを落とし(食べ残し、使い残しなく)、始末しながら、循環させることを繰り返し、身体や家、モノを維持していくことだ。
食品ロス、手入れの行き届かない家の中の各所。
パピン家が実家に同居する前の親の家は、まさに時が止まっていたようでした。
物を誰かに頂いた時、それが必要か不要か、この先使うか使わないかの優先順位を決められないまま時が経ち、どんどん増えて劣化していく物に溢れていたのです。
著者の言う「生活力」が欠けた状態でした。
生活の折々に、優先順位の決断を早くからつけるように練習していれば、これほど汚れやモノで溢れた日常の暮らしにはならなかっただろう。
若い時には苦もなく出来ていたことが、意識しないと出来なくなる。
老いていく過程で優先順位を決める練習をしていくことが、生活力の欠如から逃れる術と著者は語ります。
我が家は幸いにも二世帯同居の道を歩むことになったため、循環しなくなった家をもう一度私の手でかき回す状態となりました。
が、自分がこの先老いていく過程ではどうでしょうか…?
一人娘が遠く旅立ってしまった後、私は「生活力」のある老後を送ることができるのかどうか断言はできません。
今はおのずと出来ている「優先順位の決断」。
これは今後より一層意識していきたいと思いました。
●年を取ったら整理整頓・循環といった「生命環境の維持」が大切
●そのためにも優先順位の決断は早くから練習を積もう
暮らしの変化と共に物は変化しているか?
家中のモノの所有者は、所有するモノすべてを把握しておく必要がある。しかし、すべて把握できずに、忘れ去っていく。なぜか?所有するモノが暮らしの変化で必要度も変化しているのに、見直しをしないからだ。
以前私もこんな記事を書きました。
オヤカタをしていると、度々、現在の暮らしにそぐわない品に出会います。
「昔はよく使っていたけれど、今はもう使っていない」
という言葉を何度聞いたことか…。
老いと共に変化していく暮らしと所持品がマッチしていない結果です。
そういう物は大抵、押入れの奥深くか、普段使い出来ないような使いづらい収納部へと押しやられ、忘れられていることもこの一年で沢山学びました。
それらを一つ一つ発掘する労力といったら…!!
思い出しただけで天にも昇りそうです。
(でもまだまだ道半ばなので昇天するわけにもいきません)
老いを迎えていく時期は使用するモノを少なくしていい。これまで使用していたモノを見直し、これから使用するモノを絞っていくことがどうしても必要なのだ。
結婚当初から同じ一軒家に住み続けているパピン両親が所持品を見直すきっかけがあったとしたら、それは20年前に行ったリフォームの時だったかもしれません。
両親共に体力があり、要・不要の判断も今以上にすばやく出来た可能性があります。
老いてからの物の見直しは気力・体力ともに無くなっているため、どうやっても人の手を借りることになるでしょう。
そしてそれを担うのはほとんどの場合、実子なのです。
●人生は死ぬまでモノの見直しの連続
●老いを迎える時期は使うモノを少なくしていくことが必要
親と子の片づけ感情の違い
親が家を片づけるのに躊躇したり、片づけたがらない場合には、とても難しいという話は多い。(中略)たとえば、親の家に同居となった場合だ。それまでの親の暮らしを大幅に変化させなければならなくなる。ここが難しいのだ。家にあるモノはすべて「自分の所有物」と親は思い、それらは決して「不要なモノではない」と思い込んでいるからだ。
パピン家は主に捨てたがらない父との間で衝突が起こりがちでした。
親は、「いずれ、どうにかなる」と思っているが、結局それを背負い込むのは子ども世代だ。
そう。
そうなのです。
私だけでなく、そうやって背負って頑張っている人たちが沢山いるのです。
著者は語ります。
ここで話し合いを、真剣に、一生懸命にする必要がある。
ただ何とかなるだけでは、どうにもならないことも起こる。
転ばぬ先の杖は、時間をかけて何度も、何度も話し合うことだ。
それしかないのかもしれない。
それくらい難事業なのだ。
言葉を交わすことすら嫌になってしまうこともあるのですが…
やはりコミュニケーションは大切ということなのですね。
著者が語る親の家片づけ、3つの教訓↓
●とにかく話し合うこと
●小さなスペースからはじめること
●共同で作業すること
片づけは人生の棚卸し
片づけとは、モノを片づけるということだけではなく、今までの人生の「棚卸し」をし、これからの人生の「仕込み」をすることでもある。
著者が親の家の片づけを終え、自分の家の見直し(片づけ)をしたことで得た気付き。
それは、「老いと片づけは、身体に故障となって現れる」ということでした。
決断力・体力・気持ちが持続しているうちに大きな片づけは終えておくのがベスト。
老いと片づけの関係は、体力、気持ち、モノとのバランスだ。このバランスが全体に小さくなっていくのが、老いなのだ。
本格的な老いをまだ経験していない私にはなるほどと考えさせられた一言。
小さくなっていくことは決して悪いことではないのだと勇気づけられます。
それは、これからの人生の「仕込み」の準備期間であるから。
今はまだ片づけることに精一杯な時期ではありますが、それは今後の両親のより良い人生の「仕込み」となり、引いては私自身の未来への「仕込み」期間にもなるのだと背中を押されました。
まだまだ先は長いですが、一歩づつ進んでいきたいと思います。
他にもまだまだ参考になりそうなエピソードがありましたが、今回はこの辺で…。
家族内部の事情を事細かに(セキララ!)綴ってくださっているので、オヤカタ実践中の方には刺さる一冊かと思います。
本日もお読み下さり、ありがとうございました(ー人ー)